邪馬台国の卑弥呼もあこがれた?! 日本西方における孤高の純粋
日本名水百選《うちぬき水》が自噴する愛媛県西条市、その市街地は、西日本最高峰・石鎚山のふもとです。ここに人々が集い、定住しはじめた歴史は古く、縄文時代の住居跡はじめ墓所跡など、古代の生活様式を学術的に検証できる遺跡が発掘され、いまなお保護されています。 墓所跡の近くには、大和朝廷が成立して間もないころに創建され、いまでは《伊予のお伊勢さん》とも呼ばれる伊曽乃神社や、第45代聖武天皇の勅願寺として建立され、足利将軍家にも庇護された古刹・保国寺があるあたり、現在でいうパワースポットのように摩訶不思議な力を古代人たちも感じていたのでしょう。じっさい日本七大霊山にも数えられる石鎚山そのものが、石鎚大権現という御神体として、古代から厚い信仰をあつめつづけているのです。 さらに、「石鎚山には邪馬台国が存在した形跡がある」という学者さんたちもいて、ますます古代ファンタジーの雰囲気に充ち満ちた一大聖域なのです。
拝啓 卑弥呼様
貴女が逝去なされてから、はや2000年近くが過ぎてしまいましたけれど、黄泉の国にても女王としてご清栄のことと想いつつ、一筆啓上m(@@)m
水色は涙色・・・とか申しますとおり、こうして青いインクでしたためます。
お元気でしょうか?!そして、いまでも愛してるって言ってくださいますか?
さて、かつては貴女が、いまは私たちが住み暮らしております日本列島は、およそ1万年ほど前に現在のような形をととのえたのだ、と教わりました。
そして旧石器時代〜新石器時代ののちに縄文とかいう時代が長くつづいたそうですが、絶大なる霊力をもっていた貴女なら、もちろん、そうした歴史をご存じだったことだろうなあ・・・、と推察している今日このごろです。
なにしろ、こちら現代では知識人やら有識者などという偉いさん方が、
「邪馬台国は、ここだあ!!」とかって愛しい貴女を呼びすてにしやがってぇぇぇっ!・・・・あっ、つい取り乱しちゃって・・・失礼m(。。)m
だけどお、「ヒミコの墓は、ここ!!」なんぞと顔色かえて泡ツバとばしている始末なんですから。いっぺんだって、その現場に行って見てきたこともないくせに。ともあれ、そんなこんなで私は、耐えがたきを耐え!しのびがたきを忍んでいる今日このごろですが、貴女だって、そんな人たちにお墓参りされても嬉しくないでしょうし、掘りかえされたりした日にゃあ、怒りますよねえ。
ともあれ、貴女にお聞きしたいこと、書きたいこともいっぱいあるのですが、いっぺんにつづると、このページを見てくださってる人々が読みづらくなりますから、おいおい小分けにして・・・、でも、もしも、
てが〜み読んだら すこ〜しでいいから〜 わ〜たし〜のも〜とへ〜
・・・・失礼m(@@)mそれでは、またお便りしますm(。。)m
追伸
ゆうべ松のこずえに 激しく光る☆一つ みつけました 私は☆に話しました
くじけまへんで だって男の子だもん 寂しくなったら、また逢いにゆきますね
卑弥呼様
のおの助
古来、我が国は世界屈指の地震大国といわれておりますが、なるほどhttps://www.zenchiren.or.jp/tikei/zeijaku.htm
を拝見すれば最先端科学的にも、よく分かりますね。
http://www.jishin.go.jp/regional_seismicity/rs_chugoku-shikoku/p38_ehime/
役小角は、その呪術の威力を恐れた第42代・文武天皇によって、西暦699年初夏に伊豆大島へと流されました。しかし、役小角は泰然自若、ふと天を仰ぎみて、
「わしが今生にて最後の修行するにふさわしき聖域を教えたまえい」
と祈ったところ、蓮華三弁が降ってきたのです。それを手のひらにうけるや、ふっと息を吹きかけますと、蓮華三弁は天空高く舞い上がり、一弁は富士山、もう一弁は三徳山、そして最後の一弁が石鎚山中の竜王山へと舞い落ちたのだそうです。
大和国の葛城山で生まれ育った役小角にとって、すでに富士と三徳は修行三昧し尽くした山でしたから、迷わず四国は竜王山へと飛来し、花弁の周囲には法力・神通力によって伽藍を建立して、これが天河寺。また、近くの滝に不動明王を奉りこんでは《不動の滝》と命名して修行三昧に明け暮れ、ついに晩年には石鎚山頂・天狗岳を遙拝しつつ祈りを捧げますと、ご来光とともに阿弥陀三尊が来臨なされました。
「有り難しっ!されど、さよう柔和なお姿では、とても人間どもは悪心を捨てますまいてっ。いま一つ願わくは、どうか拝すも恐ろしきお姿へと変化(へんげ)したまえっ」と祈ったならば、たちまち三柱の権現となられました。
この三体権現を《石鎚大権現》として天河寺の本尊としたのだそうです。
のちに天河寺は戦禍にみまわれ、ことに秀吉の四国征伐によって跡形もなく焼失しました。が、ときの住持と役僧によって三体権現のうち中央の一体だけは焼ける前に地中に埋められ、法灯も絶やすことなく向かいの大保木山へと避難でき、その法灯と石鎚大権現を、いまなお受け継ぎ奉っておりますのが、すなわち石鎚山真言宗総本山極楽寺なのです。
ちなみに石鎚修験道も、しっかりと伝承されておりますよ。
古代には、その峻険をして《鋸の峰》とも畏敬された西日本の最高峰 石鎚山の標高は1982メートル、昭和30(1955)年には国定公園となりました。
そうして厳しく保護された自然環境のなかでは、石鎚特有種ではないにせよ貴重な高原植物や動物たちが棲息しています。
日本の固有種、その昔は飛ぶ鳥を落とす勢いだった天才シンガー!が、しかし、近ごろには棲息が危惧されるほどの痛ましさらしい。
菅靖匡 迷言集B
「決して現代の話じゃあないよ。ずうっと昔の、そうさなあ、ざっと卑弥呼さんが若かりしころのことさ。そのころの巫女ってなあ、いまでいうお供えモンとかお賽銭をもらうってえと、サアッと裸になってお神楽を踊ったもんさね。このあたりは、その当時の全世界共通ってことでね、参拝者が特別祈願ってことで張りこむってえと、御神体の前で何でもしてくれるんだからなあ。ほらあ、アレをやってる最中ってなあ、まるで天にも昇る心地じゃねえか、願いも叶うはずだよう。いやあ、ホントのことさ。あ〜あ、卑弥呼さん、よかったよう、キレイなんだぜえ。えっ?!それじゃあ、願いが叶うのは男ばっかじゃねえかって?!へへえっ、心配すんねえ、女性の参拝者のためにゃあ、ちゃんと神に仕える男がいらあな。そいつらのことを、たしか巫覡(ふげき)って呼んでたっけ。なんせ、オレは男にゃあ興味ねえからさあ」