織田信長も愛読してた 戦国時代のベストセラー
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
えらく真面目ぶって いったい何をしようってんだ?人生は夢とおなじなんだからな
わき目なんかふらずに ひたすら一途に一所懸命して生き抜け
思へど思はぬ振りをして しゃつとしておりやるこそ 奥は深けれ
それこそ切なくて切なくて泣きたくなるほどに愛おしい人がいるくせに
そんな人はいないよってフリしてさ まるで知らん顔してるヤツほど その想いは深いもんだよ
身は錆太刀 さりとも一度 とげぞしょうずらう
見てのとおり老いぼれちまったけどさあ たとえ一度きりであろうとも
死ぬまでにゃあ きっと愛しい貴女への想いをとげちゃうからね
思へば露の身よ いつまでの夕べなるらん
つくづく考えてみりゃ 生命ってのは まるで露みたいなものじゃないか
人間てなあ いつまで生きてられるんだか知れやしない まったく儚い存在さね
なるほど、『閑吟集』ってなあ、名すら残さぬ覚悟の世捨て人が好んだ狂言小歌やら田楽節・大和節なんかを編んだ歌謡集らしく、この世儚く哀れんだりしながらも、ただ恋愛感情だけは捨てきれずにくすぶってるあたりが、なんとも味わい深いねえ。こうしたあたりが、きっと戦国乱世という時代の荒波にマッチして、大いにウケたんだろうなあ。たとえば織田信長【菅靖匡に言わせれば、人類史上にも屈指の天才・鬼才らしい】てえお人は、子どものころから、「人生五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度生を享け 滅せぬもののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」と、『敦盛』という幸若舞を好んで、自らも唱い、かつ舞ったそうだし、「死なうは一定 忍び草には何をしよぞ 一定かたり遺すのよ」という小歌も大好きだったてえから、こうした『閑吟集』を愛読してたのも、うなづけるねえ。料理は塩加減、薬やら、いま流行りの《忖度》てなあサジ加減とかっていうんだけれども、こうした古典てえやつは、ちょっとした知識の加減で、その解釈とか味わいとが、良くも悪くも変わってくるもんだよう。
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