江戸時代初期の西条藩で、死を覚悟して納税(年貢)改革にいどんだ石鎚山大保木地方の農民たちの物語
伊予国 西条藩
寛永13(1636)年、もとは豊臣家臣で、関ヶ原合戦からは徳川家臣となった一柳直盛が加増されて転封となって成立したが、直盛は国入りの途上の大坂で病没したため、遺産分けとして嫡男・直重が3万石で継いだ。
このとき次男の直家が2万3000石で川之江藩主となり、三男・直頼が1万石を相続して、西条藩の隣の小松藩主となっている。
西条藩【一柳宗家】の家紋は直盛が用いていたように、画像《丸に釘抜》ですが、たとえば分家の小松藩のそれは《丸に二重釘抜》です。
ただし石鎚の山奥にある村々の庄屋たちが連名で、初めて『年貢を銀納にてお願いいたしたく・・・』という主旨の嘆願書を差し出したのは、慶長8(1603)年すなわち江戸幕府が開かれた年でしてね、宛先は伊予松山の藩主となった加藤嘉明でした。
しかし、なんの音沙汰もないまま虚しく時がながれてゆき、西条藩ができてからは直重に宛てて幾度となく差し出したのですが、まったく音沙汰なし。
やがて直重の長男である直興の代になっても、まったく相手にしてもらえず、いわゆる無視の捨て置きにされておりました。
そんなことは気にもしない直興といえば、参勤交代は仮病をつかって遅滞・延滞をくりかえし、幕府から《お手伝い》と称される、徳川家所縁である江戸城の補修工事やら神社仏閣の修繕要請【といっても実質的には命令ですが】なども、やはり仮病でもってサボりまくり。
もちろん、ときの老中たちにはバレバレでしたが、まったく懲りない厚顔無恥ぶりで過ごしておりました。そんな折も折り・・・(>_<)
寛文4(1664)年の稲刈りが終わった暮れ、山里の庄屋たちが極楽寺へと集まりました。
治兵衛が先導して持ちかけたのは、《血判状をもって直訴する》という決死の覚悟でした。
温故知新【古きを温(たず)ねて 新しきを知る】
銀納義民(ぎんのうぎみん)350周年の記念事業の一環にて、菅靖匡が執筆を依頼されました 『銀納義民伝』という小冊子の冒頭部分を転載します。
温故知新
ものすごい勢いで科学が発達して、私たちの日常生活にもパソコンやスマートフォンが珍しくなくなり、持ってい て普通、使いこなせて当たり前のようにもなってきました。その画面のなかには、さまざまな画像や動画があふれていますし、精巧なコンピューターグラフィック 【CG】がちり ばめられた近年の映画などでは、どこまでが実写で、どこまでがCGなのか、その区別がむつかしいほどに見事な仕上 がりの作品も増えています。
そんな進化にともなって、《バーチャルリアリティー》【まるで現実であるかのように感じられるほどの、しかし、 あくまで仮想の世界】、という意味の言葉もできたそうです。
が、こうしたものに夢中になるにつれ、 「実生活において、周囲の人々ばかりか自分自身の言動ですら、現実なのか仮想なのかの判断ができない人々が激増 しつづけている」とも言われております。
また、バーチャルリアリティーですごす時間が長い人ほど、現実世界においては 「学校の成績が思わしくない」とか 「しっかりと仕事がこなせない」などと判断されてしまうあたりも、やはり当然のなりゆきなのでしょう。
だからといって、ますます科学は発展してゆくはずですし、いっそう私たちの興味をそそるような仮想世界が、さらに広がってゆくのだろうと予想するのは、さほどむつかしいことでもありません。 こんな厄介な時代に人間として産まれ育ち、やがて立派な大人となって故郷や日本国、そして国際社会を支えてゆかねばならない君たちであればこそ、たった今から、時代の風潮だとか流行なんかに惑わされない人間としての良識を学び、それを自らの教養にまで高める努力をはじめてほしい・・、それが私のお願いなのです。
では、まず《人間としての良識》とは、どのようなものでしょうか。 その一つには、《他人には優しい思いやりをもって接しながら、自分自身にはきびしく、もっと魅力あふれる人間になれるようにと努力しつづける》そんな心を、どんなときにも忘れないことです。 柔らかくて素直で真面目な心を、さらに磨きあげながら成長し、やがて、どんな小さなことでもいいから社会に貢献【役立つこと】できる大人になってゆく・・、その努力は、御先祖様はじめ御両親への感謝をこめた恩返しであり、そして同時に、いずれは君たちの子孫への、広大で素晴らしい贈り物ともなってゆくのです。
「お手本をしめしてくれる大人が近くにいないと、どうしていいのかさえ分かりません」
「そんなむつかしいこと、マニュアル本でもなきゃ、できるわけがないよ」
たしかに私なんぞは、悪いほうの見本として最たる一人ですけれど・・、
あたかも科学が万能とも錯覚しがちな忙しい時代であればこそ、ちょっと立ち止まって、 どっかりと腰をすえて、過去をふりかえってみてください。
この地球に、尊き生命が宿り、やがて人類が誕生してから今日までの《歴史》をたずねてみれば、そこには人間という生物のすべてが記されています。善いことや悪いこと、失敗したり成功したり、泣いたり笑ったり怒ったり哀しみながらも・・、大自然にいだかれた人間が協力し合い、人間として幸福に、人間らしく共存してゆくための知恵があふれているのですから。
そんな歴史のうちにはね、私たちが住んでいる、この地元・西条にも、それこそ全国、いえ、全世界にむけて自慢してもいいほどに素晴らしいお手本をのこしてくれた人々がいるのですよ。
故郷を守りぬくため、そして世のため、人のためにこそ命懸けで努力した人々のことを、心からの尊敬と感謝の意味をこめて【義民】と呼ぶのです。
英訳 温故知新 Onkochishin
Learning lessons from the pastScience and technology have developed rapidly to the point where smartphones and PCs are a regular part of everyday life.
Indeed, most people have them and use them as part of their daily routine.
On the PC screen, various images, graphics and animations of fantastic quality overflow to the point where we cannot tell whether they are made by computer or real.
The expression ‘virtual reality’ has evolved. Total reality looks possible even in the virtual world.However, we often hear stories of people too deeply absorbed in such virtual worlds.
They have lost their sense of reality and cannot distinguish between reality and virtual reality, not only of their own lives, but also of the world around them.
Such people often achieve undesirable school records and are judged to be unable to handle work well.
Even so, science and the virtual world will continue to develop and spread.
The young people of today born into such complicated times are nonetheless supposed to be brought up to be excellent adults, supporting their hometowns and Japan and the global community, while having the good sense of people not confused by contemporary fashion or trends.
How can we define good sense as a human being? First of all, be strict with yourself and be generous to others.
Grow up with a flexible mind keeping a simple and serious heart.
Continue making efforts to be an adult who can contribute to society, for even the smallest things. The gratitude shown to your parents or your ancestors will, in turn, be a splendid gift to your descendants.
You may say, "Without an adult showing us the way, we do not know how to proceed.",or “Without a manual, we cannot complete such difficult tasks." It is simply because we are living in busy times that we tend to believe science to be almighty.
Although I am a bad example and may not be worthy of leading you, I would say, why don’t we stop wondering, calm down and look back to the past?
Please recall our history, all of our human experiences have been written. All of our wisdom is there, our good points and bad points, our successes and failures.
Human beings living in harmony with Mother Nature, with happiness and laughter, sorrow and tears, have all co-existed happily together on Earth.
Remember that in our history there are people who have left a splendid copybook to be proud of that can be shown to the whole world.
These people lived in Saijo city, Ehime prefecture.
We respect and thank those who have made selfless efforts to protect Saijo. (英訳・香川 悦子・KAGAWA ETUKO)
菅靖匡 迷言集C
「いまじゃ、日本全国各地でさ、夏の風物詩ってことで盆踊りってのを楽しむだろ。あんたらは若い娘さんの浴衣姿がいいんだろうけど、オレは年増ってえか熟女のね、着慣れて、ちょいとくずれたあたりがイイんだからなあ。そりゃ、あんまり年くって腰が曲がってるなんてなあ、《よう、アネさん》てえ愛想笑いでカンベンしてもらいてえところだけどさあ、ちょいと湿った黒髪の、年のころなら四十前後ってなあ、なんとも艶っぽいね、うん!、いいよ!えっ?!なにが言いてえのかって?!ああ、その盆踊りってのはね、華のお江戸が真っ盛りってころにゃあ、ほら、百姓一揆を起こさせないために先の杖ってえか、お上が奨励した、いまでいう乱交パーティーだったんだよう。ようは、ガス抜きってやつさあ」